17


夜も深まりネオンが瞬く頃。

猛は唐澤を連れてネオンが一層眩しい一件の店へと足を踏み入れていた。
店内は僅かに照明を落としたような薄暗さに保たれ、幾つもある席には肌の露出度も高い、きらびやかなドレスに身を包んだ艶やかな女性達の姿がある。

一人、二人と来店して来た男性客に寄り添い、美しく手入れのされた手でグラスに酒を注ぐ。男性客から話を振られればにこりと笑って上手に話を繋ぎ、男性の求める癒しや不満を和らげ、一時の夢を見せる。さらにずる賢い人間は客を持ち上げるだけ持ち上げて金を落とさせる。

ここはそんな手管を備えた女達がホステスとして働く店。

「ちょっと見て、氷堂様よ」

「はぁ…いつ見ても惚れ惚れするわねぇ」

猛と唐澤が入店した途端、ホステス達の熱い視線が二人へと集まる。密やかに囁かれる言葉に目もくれず猛は深い闇を思わせる鋭さと何処か危うげな男の色気を存分に身に纏ったまま店内へと足を進めた。雰囲気に飲まれてぼぅとしているボーイに、猛の傍らにいた唐澤が声をかける。

「オーナーの雅(みやび)さんはいらっしゃいますか?」

「あっ、はい!ただいまお呼びしま…」

「それには及ばないわ。フロアがざわついているから何かと思えば…氷堂さんじゃない。せっかくお店を開いたのに中々いらっしゃらないから寂しかったんですよ?」

ボーイの言葉を遮り、指先一つで追い払った女は猛で目を止めると紅い唇を艶やかに綻ばせうっそりと微笑んだ。出迎えた女は店の中でも一際美しいドレスに身を包み、過度な露出を控えた分、自分を魅せることに長けていた。

返事も返さない猛に雅は笑みを崩さないまま奥のボックス席に猛を案内する。猛は一度唐澤に目を向け、それを受けて唐澤が側を離れる。

案内された席には猛だけが着き、その隣に雅がくっつくように腰を下ろした。

「今夜はお一人で飲みに?」

酒の用意をする手を動かしながら雅は話しかける。しかし猛はそれにも答えず、熱っぽい眼差しを流してきた雅に冷ややかな目を向ける。
その目にゾッと思わず鳥肌を立てた雅は閉じそうになった口を何とか動かす。

「あらぁ、嫌だ。そんな怖い目向けないで下さいよ。折角の良い男が台無しになっちゃいますよ」

どうぞと、マニキュアの塗られた指先が猛の前にグラスを置き、離れる。

「それにしても本当に久し振り…。私というものがありながら何処か別の誰かの元にでも行っていたのかしら?私、氷堂さんが来て下さるのずぅっと待っていたのに…」

艶やかに微笑みながら言葉を吐く雅に猛は眉一つ動かさない。出された酒にも手を伸ばさず、会話をする気もないようだった。

「ふふっ…相変わらず冷たい人。ねぇ、今夜は遊んで行って下さるんでしょう?もちろん、こちらも…ねぇ?」

そう言って雅は猛にしなだれかかり、猛に触れようとした。だが、その手が触れる直前ざわりと一瞬で猛の纏う気配が剣呑なものに変わり、雅は振り払うように突き飛ばされる。

「きゃ…っ」

「――触るな、穢らわしい」

上から落とされた耳に突き刺さるような低い声にビクリと華奢な雅の身体が震える。ハッとして顔を上げた雅は底冷えしそうなほど深く暗い冷徹な目に見下ろされていた。

「ぁ…――っ」

ざぁっと血の気の引いた顔から視線を外し、猛は目線を店内へと向ける。

「会長」

そこへ先程姿を消した唐澤が猛の側に戻り、何事か耳打ちした。

「…そうか。これだから女は」

クッと嘲笑を漏らした猛はゆっくりとソファから立ち上がると、塵でも見るような目で雅を見下ろした。

「一介の女風情が、俺が顔を出さない間に随分あることないこと言い回ってたそうだな」

「え…っ…ぁ、だって…私はいずれ氷堂さんの」

「勘違いするな。お前のような女、はなから眼中にない」

「そんなっ…だって私の為にこの店の開店資金だって出してくれたじゃない!それはいずれ私が貴方の妻になるからじゃ…っ」

すがるように伸ばされた手を一瞥し猛は雅へ向けていた視線を切る。

「そんなものビジネスの一環だ。思い上がるな」

感情を一切含まない声音で告げ、もう用はないとばかりに猛は歩き出す。

「不愉快だ…、唐澤」

「はい」

まだ雅に聞こえる距離で猛は淡々と命令を下した。

「店を取り上げろ。この女には過ぎたものだ」

「直ぐに手配します」

追い縋っても来れないほど確実に息の根を止めて、振り返ることもなく猛は店を出る。最後には慌てたように店の店長が見送りに飛んで出てきた。

それを唐澤に任せ、車に残っていた運転手が後部のドアを開ける。
ちょうど車に乗り込もうとした猛はそこで近付いてきた男に声を掛けられた。

「氷堂会長…?」








きらびやかな喧騒から離れ、静かな音楽が流れる落ち着いた雰囲気の店内。シャカシャカと振られるシェイカーの音が鼓膜を揺らし、磨かれたグラスへとカクテルが注がれる。

絞られた照明の下、止まり木に座った猛はグラスを傾けカクテルで唇を湿らせると隣に座った男に目を向けた。

「それで他所の組の人間が俺に何の用だ?」

猛の隣の椅子に腰掛けた男の身形は明るめのグレーのスーツに、肩まで伸ばした髪を後ろで一本に結っている。歳は三十代後半。男臭さとは無縁な中性的な顔立ちで唯一、ハーフフレームの眼鏡の下から覗く鋭く冷たい眼光が男を男足らしめていた。

そんな男の名は岡林 武虎(おかばやし たけとら)。佐稜会(さりょうかい)所属の松前組若頭だ。葉桜会に所属している猛とは組織の系列が違う。

かといって、表立って敵対しているわけでもなく友好的でもない。今はただ互いに不干渉を貫いている…表立っては。

「ここ最近、西の界隈をサツが嗅ぎ回っているのを氷堂会長はご存知ですか?」

話を切り出した岡林に猛は表情を変えず、口を付けたグラスをそっと離す。

「組対(ソタイ)か?」

組対とは、従来あった捜査第四課、通称マル暴が独立組織として新設され付けられた組織犯罪対策部の略称である。

岡林は一度肯定してから緩やかに首を横に振る。

「それもありますが、どうにもおかしなことになってるようで。畑違いの少年課のデカまででばってるようなんです」

グラスを置き、目線で先を促す猛に岡林は自分が手に入れた情報を開示する。

「少し探りを入れればここ最近また餓鬼共の間で抗争が起きてるとかで、いよいよ少年課と組対が手を組んだかと傍観していた矢先、組対が怪しい動きを見せ始めまして」

「少年課は隠れ蓑か」

「どうやらその様で。組対の奴等は西の界隈でこちら側の何かを嗅ぎ回っている様子。きな臭い話でしょう?」

カラリとグラスを揺らして岡林は一度言葉を切る。岡林から視線を外し、持ち上げたグラスに口を付けた猛は僅かに瞼を伏せて黙考し、カクテルで喉を湿らせると感情を窺わせない声で訊いた。

「それが事実だとして何故俺に教える?」

ジロリと心の奥底にある本音まで見透かされてしまいそうなほど深い漆黒の双眸に岡林は苦笑を浮かべる。

「そんな深い意味はありませんよ。ただ…俺が松前組の若頭じゃなかったら氷堂会長、貴方の下で働きたかった。ただそれだけのことです」

「ふ…ん。松前組の若頭ともあろう者が滅多なことを口にするもんじゃないぜ」

「事実ですから仕方がない」

岡林の答えが気に入ったのか猛は僅かに口角を吊り上げる。一つ前の店で感じていた不愉快さを払拭させ、利益関係無しに情報を流してきた岡林の性根に猛は手持ちのカードを一つ開いてやった。

「組対が嗅ぎ回ってるブツ…それは多分、クスリだ」

「クスリ、ですか?」

神妙な顔をして聞き返してきた岡林に猛は静かに顎を引く。

確か拓磨の関わっている件にクスリが絡んでいた。
舞台は同じくサツの嗅ぎ回っている西の界隈。
これは決して偶然の符号なんかではない。

「岡林」

「はい」

「巻き込まれたくなけりゃカタがつくまで西は避けることだ」

「は…っ、御忠告痛み入ります」

軽く頭を下げた岡林を横目に、ちらと腕時計に視線を落とした猛は空になったグラスを置くと止まり木から腰を上げる。

「あっ…氷堂会長、最後に一つだけ。うちの系列で引田(ひきた)という男が、近々西は俺のものになるだのと怪しげなことを吹聴して回ってるので…」

「…心に留めておく」

重々しく頷き返して猛は背を向ける。それに続くようにして岡林も席を立ち、支払いをしようとした唐澤に丁寧に断りを入れ、岡林は自分の為に時間を割いてもらった礼にと全額自分持ちで支払いを済ませた。

猛の乗った車がネオンの中走り去っていくのを見送ってから岡林もその場を後にした。









ソファに座りぼんやりと、膝の上には雑誌を広げ、見るとも無しにテレビを付けっぱなしにしていれば玄関の方から微かに鍵が解除されるような音が耳へと届いた。

その音に俺はぴくりと肩を揺らし、何となく置時計で時間を確認する。時計の針は十二時を回り、昨夜より遥かに遅い帰宅時間だった。

「………」

足音が近付き、俺はテレビの電源を落として開きっぱなしにしていた雑誌へと視線を落とす。
帰って来た猛はいつものように、真っ直ぐにリビングへと足を踏み入れた。

開いた扉に俺はちらりとだけ目を向け、直ぐに雑誌に視線を戻す。

「起きてたな」

「…眠くないから」

帰宅の挨拶も皆無で、猛は俺を見て言う。それに素っ気なく返して俺は微かに眉を寄せた。

「………?」

雑誌から顔を上げ、リビングに入ってきた猛を訝しげに見つめる。
くんっと鼻を鳴らせば、気のせいではなく微かに猛から漂ってくる知らない甘い香水の匂い。

「………」

途端に胸の奥からじわりじわりと不快なものが込み上げてきた。

黙ったまま猛を見つめていた眼差しが徐々に鋭さを帯びていく。それと同時に暗く光を失っていく瞳に、猛は異変に気付いた。

「何処を見てる拓磨」

俺の座るソファの側まで来た猛は身を屈めて俺の頬に手を伸ばしてくる。
ふわりと鼻腔を擽る、知らない香水の匂いも強まり、俺は胸を締め付ける息苦しさのようなものを覚えた。

「――っ」

頭が考えるより先に身体が反応して、俺に触れようとした手を、左手で強く弾いて身体で拒絶する。

「…やめろ」

「………」

「俺に触るな…」

睨み上げた眼差しと見下ろす猛の視線が交差する。猛は強く払われた手を一瞥してからまた懲りずに俺へと手を伸ばしてくる。

「っ、他の奴に触った手で…」

俺はそれが嫌でソファの上を後ずさる。

「俺に触るな!」

膝の上で開きっぱなしになっていた雑誌がパサリと床の上に滑り落ちた。

俺の言葉に伸ばされた猛の手が止まる。
そのまま離れろと睨み付けた先で何故か猛は着ていたスーツの上着を脱ぎ始めた。
ネクタイも外し、襟元の釦を幾つか開けてワイシャツ姿になった猛からは香水の匂いが遠ざかり、慣れ親しんだ猛の気配だけがする。

「………」

ジッと警戒するようにソファの上で身を固めた俺に猛は無造作に上着とネクタイを床に放り、静かな声で話し出した。

「あの匂いの元は処分しに行った女が付けてたものだろう。俺は誰にも触れちゃいない」

「そんなの、隠さなくても…俺だって、その内の一人に過ぎないんだろ。…分かってる」

自分でそう口にして、ずきりと痛んだ胸に俺は無理矢理蓋をした。
諦めたように一人で話を完結させ瞼を伏せた俺に、直に心臓を握り込まれるようなゾクリとした低い声が被せられる。

「何が分かってる?ふざけてるのか拓磨」

「…っ」

「それともまた俺を試してるつもりか。…後にも先にも俺が手元に置いてるのはお前だけだ」

けれども猛は俺のした蓋を外して、暗い胸の奥に密やかに沈め込んだものも強引に引き摺り上げようとする。…駄目だというのに。

「手元になくても…」

「聞き分けの悪い奴だな」

ソファに乗り上げ猛は、これ以上後には下がれない俺を腕で囲って見下ろしてきた。

「俺が朝まで腕に抱いて眠るのはお前だけだ」

「――っ」

「それでもまだ俺を疑うなら疑う余地さえなくなるほど、身体に覚えさせてやろうか」

切れ長の漆黒の双眸がジロリと近付く。猛の吐息が鼻先に触れ、鋭い眼差しが心の奥を見透かす。

「お前の中を俺で満たして、お前の心に巣食う要らねぇ不安や恐怖を残らず消し去ってやろうか」

するりと心の奥深くまで入り込んだ低い声音が未だ脆さを隠そうとする心を揺さぶり、誰にも知られることなく沈めたはずの感情を掬い上げる。

「お前は俺だけを見てればいい」

俺は誰かを、俺が誰かを…想うことは許されるのか?

「俺だけを愛するように溺れさせてやる」

ひっそりと生まれた愛情とは違う温度を宿すこの感情が、再び殺意へと変わってしまうかも知れなくても。

「余計な事は考えるな」

ただ、自分へと注がれる熱を帯びた深い眼差しに、唇に触れる猛の熱に…ゆらゆらと瞳を揺らしてぬくもりを求めるように俺は猛の背中へと手を伸ばしていた。

「…たけ…る」

「あぁ…それでいい」

愛される以上に愛する手段を…俺は知らない。



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